皆さんこんにちはJam’sです。
ミセスグリーンアップルの楽曲は「青と夏」や「ロマンチシズム」などが代表曲であり。巷では
キラキラして「青春」を感じるグループ
という印象が強いです。
しかし
Jam’sの皆さんはご存じの通り、ミセスの曲はポップのメロディーの中にダークな歌詞や皮肉を歌っていたり、巷のイメージとは違ったものがあります。
大森元貴本人も
「陽キャの振りした陰キャ」
と自分自身を語っています。
ということで今回は青春でキラキラしたイメージのミセスではなく、陰なミセスを知ってほしいということで、ミセスの泣けるバラード曲を紹介していきたいと思います。
<こんなことが分かる>
・ミセスの魅力が分かる
・苦しい時に寄り添ってくれる曲をしれる
<こんな人に見て欲しい>
・ミセスが好きな人
・ミセスを最近好きになった人
・泣ける曲を探している人
バラード曲「泣ける」Mrs. GREEN APPLE (ミセスグリーンアップル) おすすめバラード曲
私
少年時代の恋を下敷きに、かけがえのない思い出の大切さを描いたピアノバラードであります。
1番
<一言要約>
引きずる「私」
この曲の情景はAメロの
空は深く住んでて息は白くて
からも分かる通り 「冬」
<登場人物>
「私」(涙もろい)
「貴方」(温かく笑いかけてくれる)
<状況>
「私」は「貴方」に片思いをしてるけど気持ちを伝えられないでいる
二人だけの帰り道 弱さを知れた夜
壊れかけの自転車と
掴んだその手も
もう届かない 戻れない
いつまでも 今更だけど
「壊れかけの自転車」=「二人の関係」、「二人の思いで」
を表しているのではないかと思います。
学生の帰り道を彷彿とさせる「自転車」と「二人の思いで」を掛け合わせているところがエモいよね
サビにかけて気持ちを伝えそびれた後悔の念が伝わってきます。
あの時、私は貴方のことが好きでした
凍える冬には、温かいその目が好きでした
あなたが好きでした。
サビ後の最後の吐息は「後悔の念」、「切なさ」が伝わります。
2番
<一言要約>
受け止める「私」
昔見てた景色は、どこまでも広くて
そこまでの生き方など知りたくはなかった
きました!!もっくんの大人になることを憂いている歌詞
先ほども紹介しましたがミセスが曲を書くことの大切な所だと思うのでもう一度紹介します。
何処かであなたが鳴らすその
足あとは早かった
壊れかけの自転車の 捨て方も分かった
でも忘れずにと留めておこう
いつの日も
「変わらずに居よう」
1番 ⇒ 「届かない」
2番 ⇒ 「足跡が早い」
からも分かるように「貴方」は「僕」の先を言っていることが読み取れます。
ここから
「貴方」 ⇒ 次のステップに進んでいる
「私」 ⇒ 次のステップに進めず引きずっている
(届かないと表現しているところから「貴方」は「私」以外の人と恋をしているのか、遠い所に引っ越してしまったのか、亡くなってしまったのかなど、いろいろな解釈ができます。)
「私」は引きずりながらも(壊れかけの自転車の捨て方の分かり、忘れずに留めておこうと)現実を受け止めつつあります。
これからもずっと
ここからの夕日が綺麗であれば
これからもずっと
私は「私」を生きて行ける
これからも、二人で帰った時の様に夕日が綺麗であるならばそれだけでいいのです。あの日を思い出していい日々だったなと思えることが出来れば私は「私」としていていけるのです。
Cメロ以降
<一言要約>
成長する「私」
花はまだ咲けずに
私もまだ泣けずに
貴方へは届かずとも
人はまた恋をする
花という自分の思いは咲かず(届かず)、辛くてる苦しい経験をしてこそ人は成長できるのではないのでしょうか
少し飛ばして最後の歌詞にいきます。
これから私は 明日も私は
確かに此処で息をしてる
私は私を生きて行く
毎日の日々良いことばかりではありません。しかし着実に1歩1歩、歩んでいこうそう思わせてくれる歌詞です。
「私」という楽曲は「恋愛」を題材としながら人生というものを描いている曲でもあると感じました。
いろいろな解釈の仕方があるので一つの参考程度に捉えてください。
君を知らない
この曲の一番のキーポイントになるのが歌詞中にも合うように
「君の一部を全部として」
であると思っています。
また、曲名にもある「君を知らない」という言葉を使わないでこの曲が構成されているところも一つのポイントだと思います。
例として簡単に述べると
集団Aの2,3人が悪さをしたから集団A全体がよくないイメージを持たれる
このような経験をしたことがある人は多いと思います。これが個人単位でも起こってしまっているのです。
人はみな一部を全部として捉えてしまっています。なので、歌詞中でも
解かり合えることはない
分かった気になってた
僕の一部を全部として
といった
思いが交差する情景が描かれている歌詞が組み込まれています。
しかし、この思いの交差に嫌気がさしたのか、
大体そうさ、みんないい人でもないし
いい加減無理をするのを辞めたい
そう思っていても、それでもあなたに愛されたい。愛されていたいだけだと思っています。
分かった気にさせて
届いて欲しいこのラブソング
この思いが届かなくても、「もはやそれが素晴らしいな」と信じなきゃやっていけないと思うほどにまで思い詰めてしまっています。
そう思うのは泣けてしまい、辛いけど、それでも、「君を思っていたい」と
君への愛が歌われています。
最後の歌詞
君を知っている
にはどのような思いがあるのでしょうか
この言葉には今までの歌詞の総括になっていると思います。
一部を全部として分かち合えることはできないことを知ってしまった。人はみんな良い人ではないことにも気づき無理をするのを辞めたいと思う日々。そんな日々でもあなたに愛されていたい。こんな日々が素晴らしいと思い込まなきゃやっていけない。もちろんそう思い込むのは辛いし泣けてしまう。しかし、それでも君を思っていたい。
そんな思いが込められているのではないのでしょうか
鯨の唄
<言葉の定義>
「唄」 定義 言葉に旋律やリズムをつけて,声に出すもの。また,その言葉
いきなりですが皆さん52Hzのクジラと言うのをご存じですか??
52ヘルツの鯨(52ヘルツのくじら、英語: 52-hertz whale)は、正体不明の種の鯨の個体である。その個体は非常に珍しい52ヘルツの周波数で鳴く。
この鯨ともっとも似た回遊パターンをもつシロナガスクジラやナガスクジラと比べて、52ヘルツは遥かに高い周波数である。
この鯨はおそらくこの周波数で鳴く世界で唯一の個体であり、その鳴き声は1980年代からさまざまな場所で定期的に検出されてきた。「世界でもっとも孤独な鯨」とされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
<要約すると>
52Hzのクジラ
= ”世界で最も孤独なな鯨”
⇒ 自分の遥かに高い周波数(声)を周りの鯨たちが聞き取ることが出来ない
こんな孤独なクジラを題材として”鯨の唄”が作られたのではないかと言われています。
確かにこの楽曲では52Hzの高い周波数をお意識しているのかサビでとても高い高音が出てきます。
<歌詞をCHECK!!!!!>
「どうやって僕の居場所に気づかせよう」
孤独に生きるクジラと現代社会に孤独を覚えるひとをリンクさせて孤独を覚える人の嘆きを歌っています。
「手を挙げて叫んでいるのを誰かが気っと見てるから
怖がらないで貴方は貴方の命だけを輝かせて」
孤独を覚える人の近くにはきっとその声を聴いてくれる人がいるはずですだから前向きに生きていこうと、孤独に生きる人に共感し、寄り添い、背中を押してくれる楽曲です。
<Question>
今大ヒットで2024年春に映画化も決定し、2021年本屋大賞を受賞した町田そのこさんの作品『52ヘルツのクジラたち』をごぞんじですか?
この本もタイルからも分かるように”52ヘルツのクジラ”を題材に書かれています。
この本を読むことにより”鯨の唄”により入り込むことが出来きより楽曲を楽しめる、ミセスファンなら読むべき本となっております。
<本のあらすじ>
過去を断ち切って東京から大分の海辺の町へと移住してきた三島貴瑚は、移住先で13歳の少年と出会う。虐待を受けていた少年を見た貴瑚は、自身のかつての姿と少年を重ね合わせて、「聞き逃した声に対する贖罪」として少年を助け出す試みを行う。
They are
この曲は同じアルバムに入っているWanteD!WanteD!のMV公開がもっくんが20歳の時なので
少なくとも20歳より前に書かれた曲だと思われます。
この曲はもっくんの実体験をもとに書いた楽曲だそうです。
この曲は
「僕」(主人公) → もっくん 「君」 → 好きな人(おそらくその時付き合っていたかた?)
で物語が進んでいきます。
<この曲のキーとなる歌詞>
”今日もただ「一人で寂しい」と君の前で思ってしまう”
の歌詞だと思っています。
毎日いろいろな事柄が起きていく中で今日もふと「独りで寂しい」と感じてしまうのです。
”君”と言う「すきなひと」が前(近くに)にいるのにも関わらず。
この歌詞だけを聞いただけだと好きな人が近くにいるのにどうして一人で寂しいのか疑問に感じますよね。
ぜひ自分の恋物語と重ね合わせてみてみてください
その疑問を後の歌詞を見ていき解決していきましょう。
1番の歌詞
この1番の歌詞に簡単に題名を付けさせていただきます。
<題名> 「僕は君を愛せていたのか!?」
それでは見ていきましょう。
今日もただ 「独りで寂しい」と
君の前で思ってしまう
あなたのその 優しい愛は
僕には美しすぎるんだ
許してくれなくていい 僕が愚かなままでいい
心が凍えそうなんだ 温めてくれるだけでいい
~独りで寂しい。~
「僕」は自分自身を許してくれなくても、自分自身がおろかなままでも、とにかく冷え切った心を温めて寄り添ってくれる人を求めていたのでしょう。
⇒ ここからは何処か生きていくのに余裕がない情景が浮かんできます。
君の喜ぶ声も 泣きそうな瞳も
僕を呼ぶ声も 生きてるんだ
君は僕を置いていくんだ
僕だけ年を取らないみたいにさ
君の喜ぶ顔、泣きそうな瞳、僕を呼ぶ声など「君」の思いは死んでいない、間違いのないものである。
そのように感じているはずなのに、何処か心が温まらない、寂しさを覚えてしまっているんです。
☟ そんな思いが
2人で一緒に年を取る(成長する、歩んでいく)のではなく、”僕だけ年を取らないみたいにさ”に込められているのではないでしょうか。
今日もただ「独りで寂しい」と
君の前で思ってしまう
貴方のその優しさでも
僕は傷を負ってしまうんだ
神様どうか、
答えて君を愛せていたのかわからないんだ
そんなもどかし思いを時折感じてしまうことがあるんでしょうね。
君の前で「独りで寂しい」と今日も思ってしまうわけです。
心のよりどころがない「僕」は神様しか頼る当てがないのでしょうか、君を愛せていたのか答えが返ってこないとわかっていながらなんとか願うそんな余裕のない切なさが伝わってきます。
<1番まとめ>
「僕は君を愛せていたのか?!?!?」編
心を温めてほしい
君の優しさは生きて居て本物と気づいているが、どこか寂しさを覚えるところがあり、おいて行かれる気持ち
そんな中で本当に「僕」は「君」を愛せているのか!?!?一緒にいていいのか!?!?
2番の歌詞
<題名>
「君に愛されていたことに気づいた」
名誉じゃなくていい お金なんかは後でいい
君が上手(うわて)なままがいい孤独を分かち合えればいい
「人間」 ⇒人はよく周りからの見られ方を気にして今います。周りからは名誉やお金で人の価値を図られがちです。
だがしかし「僕」は違います
「僕」⇒他人からの尺度なんて後でいいのです。ただ、孤独を分かち合えることが出来ればそれでいいのです。
ぎこちないキスも 涙した理由(わけ)も
僕はサヨナラに慣れすぎた心のハグもプレゼントも何一つ返せてないのに
ここで少し物語が展開していきます。
孤独に慣れてきてしまい少し自分を俯瞰して見ることが出来たのでしょうか。
<POINT!!!!>
ここではじめて自分に合った焦点が君にあたってきます。
1番で生きて居るものとうたっていたがどこか信じることのデキなった「君」からの心のハグ、プレゼントが本物だったと気づいたのか自分はそんな贈り物を返せていなかった事に気づきます。
今日もただ「独りで寂しい」と
君の前で思ってしまう
貴方の その優しさは
僕には美しすぎる
神様、どうか伝えて
君に愛されていた事に気づいたんだ
~同じ歌詞だが意味が違う!?!?~
サビの最初は1番と同じ歌詞ですが意味合いが違ってきてるような気がします。
簡単に言うと
「1番」 ⇒ ”君”の優しさに気づくことが出来ず独りで寂しい 「2番」 ⇒ ”君”のやさしさに気づいたが今まで気づくことが出来なくて辛い思いが込められてい る
そんな君の「優しさ」が美しく見えてしまってるのかもしれませんね。
何とかしてこの愛されていた「ありがとう」問気持ちを伝えたい。そう思っているのかもしれません。しかし、Cメロ以降で切ない結果になってしまいます。
<2番まとめ>
「君に愛されていたことに気づいた」編
「君」の優しやに気づけた、「僕」は愛されていた、”ありがとう”が伝えたい。
Cメロ ラスサビ
<題名>
「愛していたことに気づいた でも遅かった」
鐘が鳴り響いた 魂は知っているんだ
本当の愛ってこんなんじゃないんだろうか
出会った意味をも 数えればキリがないけど 君はもういない
~切なさのピーク~
2番で「君」の優しやに気づくことが出来たのに気付くのが少し遅かったのですね。「君」はもういなくなってしまいました。
そんな後悔の念がCメロから伝わってきます。
”出会った意味をも数えればキリがないけど君はもういない”この歌詞なんかとても切ないですよね。
今日もただ「独りで寂しい」と
ベットの中で思ってしまう
誰かのその 優しさでも
僕は傷を負ってしまうんだ
今頃、僕は、僕は
君を愛していた事に気づいたんだ
全てが昨日の様に感じるんだ
「今まで」 ⇒ 君の前で”独りで寂しい”と感じていた 「ラスサビ」 ⇒ ”ベットの中”で寂しさを覚えています。 ”独りで寂しい”から”ベットの中”と心理的な独りから物理的な独りに代わっています。 「今まで」 ⇒ ”貴方”のその優しさでも僕は傷を負ってしまうんだ 「ラスサビ」 ⇒ ”誰かの”その優しさでも僕は傷を負ってしまうんだと ”貴方”から”誰”かとなっています。
そんな歌詞の微妙な変化に切なさを感じます。失って気づくものってありますよね。
今頃になって「僕」は君を愛していたことに気づいたのです。
さらに、もう一つ対比があります。
「今までのサビ」⇒ ”神様どうか伝えて” → 現実から逃げて神様だより 「ラスサビ」 ⇒ ”今頃どうかどうか” → 現実を受け止めている
このように、自分を冷静に見ることが出来ています。
この全ての出来事が昨日の様に感じています。とてもいろいろな意味で濃い時間で鮮明に覚えているのでしょう
<曲のまとめ>
とにかく誰かもっくんの心を温めてくれー!!となる曲でしたね。Cメロ以降で明かされたオチがとても切なく思います。
歌詞の捉え方は人それぞれあると思うので参考程度によろしくお願いします。
<最後に>
キラキラしているミセスだけじゃないダークなミセスの魅力がさらに伝われば幸いです。
ミセスの多面的な魅力をこれからも見ていければなと思います。
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