皆さんこんにちはミセスグリーンアップルが好きなダルマです。
今回はミセスの曲に隠された豆知識を紹介していきたいと思います。
また、インタビューで語る、貴重なミセスグリーンアップルの皆さんのコメントも合わせてご覧くだい!!!
<こんな人に見てほしい>
・ミセスグリーンアップルが好きな人
・「Speaking」が好きな人
・音楽が好きな人
・『遊☆戯☆王ARC-V』を見ていた人
この中の一つでも当てはまるのであればこの記事を読んで公開はありません!!!!
是非、最後までご覧ください!!!!!!
<この記事でこんなことが分かる>
・「Speaking」の豆知識
・「Speaking」に込められた思い
今回紹介する曲は、ミセスに詳しくない人でも聞いたことある人が多い曲だとおもいます。あの大人気アニメ遊☆戯☆王ARC-Vのエンディングにも起用された
Speaking
「Speaking」豆知識
この曲は2015年12月16日(水)に発売された1stシングルです。
それでは豆知識の紹介をしていきます。
冒頭から
ねえ聞かせて君の好きな歌は何?
ねえ例えばこのままどっかえ抜け出して
心臓のblueを隠さずに話をしよう
と歌詞が始まります。
「ねえ聞かせて」、「心のblueを隠さずに話をしよう」
この歌詞からこの曲の主人公Aは相手Bの閉鎖した心の状態を心配しています。
そして相手Bの心の氷をどうにか溶かして、打ち解けてほしいと思っているのです
相手Bの閉鎖した心は何処にしまったのでしょう。
それについての答えがサビに隠れています。
サビ
先生でも何にも知らない
親友でも何にも知らない
誰にも話す気はない?
だけども話してよ曖昧な態度はいらない
悲しみに非はない誰とも話す気はない?
だけども話してよ僕には話してよ
ここで注目したい歌詞は
「先生でも何にも知らない 親友でも何にも知らない」
です。この歌詞の一文字目を取り出すと
ここが最重要ポイントです
(S)先生でも
(N)何にも
(S)知らない
(S)親友でも
(N)何にも
(S)知らない
となってSNSという頭文字が出てきます。
こんな秘密が隠れていたなんて鳥肌だよ!
こんなところに相手Bの心の居場所が隠されていましたね
実は相手BはSNSに心を閉鎖してしまったのです。
「曖昧な態度はいらない」ここから主人公AのあいてBに対する本気度が伝わってきます。
SNSの依存により今までのような関係ではなくなってしまったんでしょうか?
もともとはなんでも話し合える親友だったのでしょうか?
最後の「話してよ」から悲しさの念が感じられます。
Cメロ
でも君がほんとに知りたいのは
誰でもない「君自身」でしょう?
指先で飛ばすメッセージは一体誰の何に届いてるの?
「教えなきゃ転んじゃう様で学ばなければ怪我しちゃうようです」
「でも君が本当に知りたいのは ダレデモない「君自身」でしょう?」
SNSに依存して閉鎖している相手BはSNSでうその自分を作り上げているうちに自分自身が分からなくなってしまったのです。
そんな中で主人公Aは、SNS上で自分を繕ってのコミュニケーションは誰の何に届いてるの?と、疑問を投げかけているのです。
しかし相手Bは自分がSNSに依存していることに気づいていません。自分が何に依存しているときって気づかないものですよね。
「教えなきゃ転んじゃう様で学ばなければ怪我しちゃうようです」ここではSNSに依存している相手Bに主人公Aからの「依存はよくないよ」、「閉じこもってないで解き明かそうよ」といった助言が読み取れます。
そんなこの曲の題名は「Speaking」
まとめ
この曲は主人公である作詞作曲した大森君から相手である現代に生きる私たちに送られたメッセージなのです。SNSが発展して人たい人のコミュニケーションが少なくなった今、人と面と向かってのコミュニケーションの大切さを考え直すきっかけとなる曲です。もちろんうまくSNSを使うことで暮らしが豊かになりますですが依存には気を付けていきたいですね。ポップな曲調の中に潜む現代への皮肉だったり、疑問を入れるところが大森元貴さんぽくていいですよね。
*また歌詞の解釈は人それぞれで今回の解釈は私の推測な参考までにお願いします。
「Speaking」に込められた思い
まずは”なんでもいいから話してみなよ”と言いたかった。
「Speaking」はもともとデモがあった曲で初のアニメ主題歌で、『遊☆戯☆王ARC-V』のエンディング曲というお話を貰って、今がよきタイミングなのかなと思って、デモを形にしたそうです。
<”Speaking”=話すことというテーマで歌詞を書こうと思ったきっかけは?>
ケータイですかね。
スマホ文化と言うか、SNSかな。
良くも悪くも便利なものだから、感覚が鈍ってきてる感じがあるなって、、、
気持ちはわかるんですよ、自分もその文化のど真ん中にいるし、Twitterもやるんで。
それは周りに話を聞いてくれる人がいないからなのかな?とも思うんです。
その悲しさや空しさを歌うことで、きているひとが、
すぐに”話してみよう”ってならなくても、“私やばいかも”と思ってほしいというか。
SNSに頼っちゃうのは悪いことじゃないし、そういう時代だけれど、”本来、人と人は目を見てしゃべる生き物だよな”と思うので、それをどんな風に歌おうかな?
って考えて、こういう歌詞になりました。
<歌いかける相手のイメージ>
同世代の方や学生さんとか。
僕、あまり学校に行ってなかったんですけど、最近、中学の友達に会う機会が何回かあってすごく色んなことを感じたんですよ。
自分は劣等感を拭うために音楽を作っていて、それを仕事にしようと思ったところからのスタートなんですけど、
世の中の19歳(当時、大森元貴は19歳)はどういうサイクルで物事が進んでいるのかな?と言うことを改めて話してみて、いろんなことを感じたんですよね。
でも、共通してあったのが、みんな今やっていることや、人間関係に納得いってないんだなと。
自分のやりたいことが漠然とあったり、やりたいことがあるけど不安があるとか。
やってることも生活サイクルも違うのに、どこかで感じている寂しさや不安は同じなんだなと思ったのが、作品を作るヒントになりました。
そこは万人に伝えるメッセージとして歌うときの、キーになるところだったんですね。
楽しい曲なんだけど、どこか憂いに響く部分がないと、今を生きる人には響かないだろうなって。
人に話せなくなって、自分を強くするというサイクルが生まれちゃってるから、みんな自分を強くすることで、すべてを解決させようとする人達が増えたなと思うんです。
それで済むんだったらいいのかもしれないけど、なんかちょっと寂しいなと思うんですよね。
それで全体的に無愛想になってきちゃった気がするし、嫌だなと思うから、
まずは”なんでもいいから話してみなよ”と言いたかった。
別に強くならなくてもいんじゃないの?って言葉はすごく力を持っているから、大事に扱わなきゃいけないし、だからこそちゃんと使うべきだと思う。
人と人を繋げるものがなくなってきてるから、この曲が何かのきっかけになればいいかなと思います。
だた、サウンドはあくまでもポップにしましたね。
<まとめ>
このインタビューにもあるように
- 「どこか憂いに響く部分がないと、今を生きる人には響かないだろうなって。」
- 「別に強くならなくてもいんじゃないの?」、
- 「だた、サウンドはあくまでもポップにしましたね。」
と1stシングルから最新の曲に至るまでミセスグリーンアップルの核にあるものは変わらないんだなと感じました。
「ケセラセラ」の歌詞にも「勝てなくたっていい 負けない強さを持ちたい」と言ったように寄り添う歌詞が入っています。
また、サウンド的にはポップですがどこか憂いを憂いに響く歌詞も見られます。
フェーズ2が始まりいろいろ状況が変わりましたがミセスグリーンアップルの中にある一つの大事な柱は変わらず残っているのですね!!!!!
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